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『聖なる夜の出来事』(山本達朗)

 2012年が始まった。このコラムが発行される頃は、お正月も終わり、センター試験も終わり、受験シーズンが到来している。そう考えると、季節外れな話になるが、2011年の年末に行われた名寄のイベントと私の子供に起きた出来事についてお話ししたい。
 12月25日、世の中は「クリスマス」を迎える。この時期、名寄は町中がすっぽりと雪で覆われ、まさに「ホワイトクリスマス」を迎える。2011年も例外ではなく、名寄は銀世界となった。名寄では、クリスマスから10日前(12月15日)より、町外れの大きなレンガの煙突に、巨大なサンタクロースが登り始める。このイベントは「なよろサンタクロース夢プロジェクト」というもので、クリスマスイブの12月24日に、サンタクロースは煙突の頂上にたどり着く。今回は、サンタクロースが背負う袋の中に、子供たちから集められた願い事が書かれた手紙が入っており、それを天に向かって運ぶという企画。
 イベントの説明はここまでとして、私はこの時期になると自分の子供たち(3人)に必ず聞かれることがある。「あの煙突を登っているサンタがプレゼントを届けてくれるの??」と。この質問に対して私は、「そうだよ、24日の夜に煙突から離れて町中の子供達にプレゼントを配りに行くんだよ」と答えることにしている。9歳になる長男からは、最近サンタクロースに関する質問が出なくなった。うすうす大人社会の動きを認識しているのか・・・。5歳になり話が達者な長女は、「うちには煙突ないけど、サンタクロースはどこから入ってくるの??」など核心を突く質問をしてくる。そのような質問には「玄関から入ってくる」と真顔で答えるようにしている。「たまに家の中でお茶飲んでいくよ」と答えても、長女は信じてくれる。まだ大丈夫。3歳の次女に至っては、何も心配なし。日頃から子供たちに「嘘ついちゃだめ」と言っているため、サンタクロースに関して「嘘」をつくことに多少の心の痛みが伴うが、こればかりは仕方がない。このような子供たち相手に、イブの夜にはクリスマスプレゼントを配るのが恒例行事。もちろん、子供達に気づかれないように。うすうすサンタクロースの正体に気がついている長男には、格段の配慮が必要と感じ、長男の深い眠りを待っていたら、夜中の2時になっていた。父サンタも大変である。

煙突に登るサンタ

 翌日25日、昨晩から降り続く雪のため、私のクリスマスは除雪から始まった。「私には雪のプレゼントか。運動不足を解消しなさいというお告げかもしれない」。そんなことを悶々と考えながら、除雪をした。除雪が終わり、起きてきた子供達を見ると、手に手にサンタクロースからもらったプレゼントを持ち、興奮している。希望通りのプレゼントが手に入った様子。私は、子供達が昨晩サンタクロースに会ったかどうか聞いてみた。長男と次女は「寝てたから、分からない」という回答。まあ、予想通り。しかし5歳の長女は「サンタさん来たよ!!」と真剣に答えた。私はとても焦った。長女が何を見たのか聞いてみたところ「本当にサンタさん来たよ!!赤い服着ていて、プレゼントをガサガサと置いていった」との話。私の昨晩の服装は黒。長女は本当に(?)サンタクロースを見たらしい。おそらく、彼女の部屋には、煙突のサンタさんが大きな体をゆらしてやってきたのだろう。なにはともあれ、子供達にとっては、楽しいクリスマスになったようだ。
 子供たちは、様々な経験をして成長していく。長女にとってのサンタクロースとの出会いは、今の時点ではかなり衝撃的な経験であったと思う。このような出来事があると、私はいつも「このような記憶はいつ頃まで持ち続けるのかな」と思う。私の5歳頃までの記憶は、『鎖骨を折った』とか『腸の病気でお尻から棒を突っ込まれた』とか、痛い記憶しか残っていない。おそらく、長女が経験したサンタクロースとの出会いは、数年後、もしかしたら来月には失われるかもしれない。子供の記憶力とは、その様なものである。でも、このような経験をさせてあげることは親である今しかできないし、このような経験を子供と一緒にすることが子育ての楽しさであると私は思う。
 この名寄という町で、いろいろな方々が知恵を出し合って、子供たちを楽しませるイベントを企画してくれたことを心から感謝したい。このイベントによって、クリスマス・イブの夜に、名寄の何人かの子供の目の前にサンタクロースが現れたのだから。

●あとがき

 本学ホームページにも掲載されていますように、これまで「コラム@NCU」を2回担当して頂いた鈴木文明先生が、昨年の12月16日に急逝されました。このコラムは、鈴木先生が大学の状況や学生の声、そして名寄という町の情報を発信しようと企画されたものでした。鈴木先生という大きな柱を失い、このコラムをどのようにすべきか悩みましたが、私たち名寄市立大学広報web委員は、鈴木先生の遺志を受け継ぎ、このコラムを続ける決意をしました。今後も、皆さまに名寄のことや、大学のことをこのコラムを通じてお伝えしていきますので、楽しみにお待ち頂ければと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。

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