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コラム@NCU - 第2回目「スポーツと共生」 関 朋昭

名寄市立大学の関です。大学ではスポーツに関する授業を担当し、特に日本の部活動を題材とした研究を行っています。今回は、「スポーツ」と「共生」について考えていきたいと思います。

辞書で「共生」を引くと「別々のものが争わず一緒に生きること」と書かれています。この意味からすると、別々のものが争うスポーツは「共生」では無いということになりますね。そもそもスポーツとは何でしょうか? これも辞書で引いてみましょうね。「陸上競技、野球、テニス、水泳、ボートレースなどから登山、狩猟などにいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称」と書かれています。海外ではチェス、ダーツなどもスポーツと捉えている国があります。スポーツの解釈が広くなりますね。そこで、もう少しスポーツを分かりやすく把握するために、先ほどの辞書の前半部分の「陸上競技、野球、水泳、ボートなど・・・競争」に絞って、「共生」との関係を見ていきたいと思います。

まずは陸上競技が成立するための必要最低限なものを考えてみて下さい! すぐに思い浮かぶものとしては競技場、選手ではないでしょうか。同じように野球だと野球場、選手、水泳でもプール、選手が必要ですね。その他には、スパイク、グラブ、ボール、水着なども最低限必要といえますね。まとめて道具としましょう。このように見てみると、スポーツが成立するためには、場所、人、道具が必要なことが分かります。これらは「競争」のための必要条件ですね。さらに細かくみれば「選手」は自分たちと相手の二通りあります。相手がいなければ競争できません。そうした意味では、スポーツにおける共生とは「別々のものが争い一緒に生きること」となります。辞書の「共生」の意味とは違うことになりました。「競争」と「争い・争う」と似た言葉が出来きましたが、どちらも「競い合って争う」という意味なので、以下、「競争」に統一します。

陸上競技、野球、水泳が「競争」するために見逃せない重要なものがもう一つあります。ルールです。そしてルールを厳粛に遂行するための審判員です。スポーツの共生とは「競争」ということになってしまいましたので、競争を管理する第三者、審判員が必要となります。スポーツは遊びから進化したものです。幼少の頃に遊んだ「かくれんぼ」「鬼ごっこ」は相互合意(お互いがプレイヤー兼審判)だったと思います。この二つの遊びも、ルールを明確にし、そして審判員を配置したら立派なスポーツとなります。そして次の点が超重要ですが、スポーツの「競争」には「始まりと終わり」がある、ということです。いつまでもダラダラと競争を続けるものではありません。むしろスポーツは、ルールの中で閉じた世界をもち、その特異な世界は審判員によって仕切られています。スポーツは時間限定的な創られた世界の中で相手、審判員と「共生」しなくては絶対に成立しません。まとめると、スポーツは自分と他者との共生です。

しかし、こういう反論もあるでしょう。「陸上は一人でもできるよ、水泳だって同じさ」。確かに、一人でランニングしたり、一人でプールへ行ったりすることもできます。「共生」でないこれらの行為は、スポーツというよりもどちらかといえば「体育」に近いでしょう。「体育」は「スポーツ」よりも、もっと広い意味で「共生」を考える教科といえます。

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